2020年の超少子高齢化状態な秋田県です。※
秋田県内の唯一、人口増は『東成瀬村』だそうです。そして、人口微減にとどまっている『大潟村』があります。
村のパワーを感じていこうと思います。
※令和2年国勢調査人口速報集計(秋田県)より

大潟村は数年前まで人口増でした。今は人口微減のようです。
大館市民の僕は、大潟村から何かすごい能力を学べるのではないでしょうか。
大潟村のすごい能力 5つのまとめ
1.八郎太郎伝説
2.小畑勇二郎知事との対話
3.八郎湖干拓事業
4.日本海中部地震からの復興
5.減反政策や高齢化問題にとらわれず生み出す力

大潟村のすごさは、2024年で60周年を迎えるという
ぎゅぎゅっと中身の詰まった村の歴史にあると僕は思うんです。
その謎を解こうと思います。
1.八郎太郎伝説
八郎潟(はちろうがた)は、2つの川が運んだ砂により男鹿半島と秋田がくっついて、内側残った海による湖(海跡湖)です。
八郎太郎は、秋田県北の昔話でおなじみです。神水や魚を食べた青年からの龍神様ですね。
<八郎太郎の旅路> 十和田湖→鹿角→能代市二ツ井→八郎潟(現:大潟村)
以下、昔話です。鶏が鳴く朝、嵐が起こり川が氾濫し『八郎潟』が出来たのです。
その時、溺れかけたおばあさんを八郎太郎は、尻尾ビンタで助けたものもおじいさんがいる反対側へ飛ばしてしまいました。以上、どっとはらい。

大潟村干拓博物館 展示パネル
八郎潟の干拓前は、琵琶湖に次いで、日本2位の広さでした。



八郎潟干拓事業の際も、龍神様の祟りを恐れる感じはあったようです。
田沢湖の※辰子姫の下へ、八郎太郎が行って幸せになってくれ、と。
秋田県内だけではないと思いますが、大潟村も民俗的な信仰がある場所です。
※辰子姫と八郎太郎は、夫婦になったという昔話より。
2.小畑勇二郎知事との対話
八郎潟の干拓事業は、歴史上で幾度なく計画されましたが、その度に中止となっていました。第2次大戦後、復員兵や引き上げ家族を含めて、全国民の食糧の確保が急務でした。
1952年(昭和27年) 吉田茂(よしだしげる)首相 農林省 食糧増産5ヵ年計画を立てる。
1953年(昭和28年) 漁師たちの反対運動
1954年(昭和29年) オランダのヤンセン教授が来日し、八郎潟に対するレポートを作る。

大潟村干拓博物館 展示物
1955年(昭和30年) 小畑勇二郎(おばたゆうじろう)氏が秋田県知事になる。
1956年(昭和31年) 小畑知事、漁師たちの決起大会へ参加。

小畑勇二郎知事と漁師の決起大会
小畑知事は干拓前に、漁師たちへ漁業補償を約束しました。いよいよ秋田県として、八郎潟の干拓へ舵を切ることになります。

小畑勇二郎氏は、大館市出身。たたき上げの政治家で、やる気に満ち溢れていました。血気盛んな漁民大会へ突入とは、現在では全く想像のつかない方法ですね。秋田のリーダーによる演説が漁師たちの心を動かしたのでしょう。
3.八郎湖干拓事業
八郎潟を干拓しよう。問題としては『やわらかい大地』でした。
海と農業用水を分けるための堤防を作っても、沈んでしまう。
その解決のために、長期間の工事が始まります。もちろん命がけです。

未来のために、弟妹たちの世代のために。
1957年(昭和32年) 堤防工事開始 ヘドロとの闘い
1958年(昭和33年)~1963年(昭和38年) 堤防工事
浚渫船(しゅんせつせん):浅い八郎潟の底にある砂や泥を掘る船。呑竜号など。

2022.5.19.大潟村南の池入植記念公園
1958年(昭和33年)・1960年(昭和35年) 南部および北部から排水開始
1959年~1964年(昭和34年~昭和39年) 水門や水道の整備
1961年~1963年(昭和36年~昭和38年) 干陸化が進む

浅く広い八郎潟が各地点の同時作業で、どんどん干拓されていきます。日本2番目の広さの湖は、こうしてミネラル豊富な農耕地へ転換していくのでした。
1964年(昭和39年)9月15日 干陸式典
ヤンセン教授「八郎潟干拓事業は日本人の技術の勝利だ」

大潟村が誕生し、今なお、物語は続いている。
干拓地 17239ha
総額 852億円
工期 1957年~1976年(昭和32年~51年) ※約20年間
入植した農家さんの数 589戸
周辺で水田が増えた農家さんの数 4450戸

大潟村干拓博物館 展示人形
4.日本海中部地震からの復興
日本海中部地震(にほんかいちゅうぶじしん):
1983年(昭和58年)5月26日正午前 男鹿半島の北西約70km地点でM7.7の大地震が発生。
青森県、秋田県、山形県をはじめ日本海側の各地点で大変な被害がありました。秋田県内では、震度5の揺れでした。津波、震災による地盤沈下や液状化、様々な二次災害が発生しました。
大潟村の各施設も被害を受けました。
地盤沈下した堤防、管理施設や農業施設の破損。約90億円の被害でした。
直す工事費として、327億円超となりました。1985年(昭和60年)に工事が完了します。

秋田県民防災の日は、5月26日です。
そして、大潟村を含む『国営男鹿東部農地防災事業』は、1996年~2007年(平成8年~平成19年)に完了しています。
5.減反政策や高齢化問題にとらわれず生み出す力
減反政策(げんたんせいさく):1970年代~2018年まで。
お米の生産調整で、市場のお米値段を安定させようとする政策です。
思惑として、お米の供給過多で値段が下がるのを何とかしようとしたようですね。

日本人のお米に対する意識が変わった歴史的瞬間ですね。
それに伴ってかどうか、大潟村さんのポジティブな行動が始まります。

(ねばりまさり・こまちのゆめ・復刻こまち)

(秋田非公認ヒーローあーまん・大潟村同友会さんのコラボ米)
もちろん、大潟村産のお米はすごく美味い!!🐸👍✨それは安定の話ですね!✨
5-1.桜と菜の花ロード

写真 2022.4.20.
大潟村 県道298号線沿い
11kmに渡り、春に出現する
黄色い『菜の花』🌼と、ピンクの『桜』の大通り🌸
その年の気象条件もあると思いますが、
4月下旬~5月上旬が見頃です🌸✨
5-2.ソーラースポーツライン
1994年(平成6年)~。
1周25kmコース。大潟村の平坦な土地を活かしたコースとなっている🐸👍✨
5-3.パンプキンパイ


秋田を代表するパイ菓子。
大潟<おおがた>村特産のかぼちゃ『くり大将』の餡がぎっしり!!
優しい甘さで食べやすいですね🐸b✨
5個入りは、600円前後
(ご時世で、値上げの可能性はあるかも。)
2週間程度は美味しく保てるようです🐸人✨

最近発売した、個包装もあるようでうれしいですね!✨
※販売店による。
5-4.生態系公園 温室 ヒスイカズラ
南国の珍しいお花が見られる温室つき植物園🐸👍✨おーいぇい!✨
ヒスイカズラは不思議な青緑の色、垂れて生えていました✨
※ヒスイカズラ開花時期:3月~5月らしいです!🌼✨
9時~17時の開園時間。入園料金:無料。
月曜日休み。年末年始として、12/29~1/3休みあり。
備考:野外公園は、12/10~3/9まで冬季休園。

※目安の時期なので、当年のヒスイカズラの開花時期は、ホームページでチェックです🐸👍✨
5-5.こめらむね 秋田県立大学
ラムネは、通常、コーンスターチを使用しているのですが
代わりに、米粉を使用しているのが、こめらむね の特徴みたいですね🐸✨
秋田のお土産として、受験生のお供(ブドウ糖の補充)として、
なかなかセンスあっていいですね🐸👍✨

写真 道の駅秋田港セリオン 2022.6.25.

道の駅おおがた 潟の店で購入
写真 2022.12.21.
見た目:モロコシの形状
匂い:若干、コメがある
風味:素朴なラムネ感
後味:リンゴジュースの酸味

近年、大潟村をはじめ秋田県内でも、大学生の起業家さんが表舞台に現れました✨
秋田県を推す活動、起業家の皆さん、がんばってほしいですね!🐸👍✨
大潟村のすごさ! 再度、まとめ!
1.八郎太郎伝説
2.小畑勇二郎知事との対話
3.八郎湖干拓事業
4.日本海中部地震からの復興
5.減反政策や高齢化問題にとらわれず生み出す力

大潟村のすごさは、失敗や問題の向こうへ行く、未来へ向けた挑戦を続ける姿勢ですね! マジでアクティブな村です!
【前回ブログ】
【次回ブログ】
参考・出典🐸
・令和2年国勢調査人口速報集計(秋田県)
・秋田妖怪蒐異 戦狐 胡仙廟 (書籍)
・大潟村
・道の駅おおがた 潟の店
・道の駅秋田港セリオン
・大潟村干拓博物館
・八郎湖の概要 美の国あきたネット
・八郎潟干拓工事 大潟村百科事典
・世紀の大事業「八郎潟干拓」美の国あきたネット
・農林水産省 八郎潟干拓「挑戦と変革の物語」のヤンセン
・ジオパークを歩こう 大潟村のジオサイト 日本海中部地震の記憶 八郎潟河川公園
・秋田地方気象台 日本海中部地震
・大潟村同友会
・ソーラースポーツラインについて 大潟村
・JA大潟村 加工特産品
・生態系公園
・こめらむね(twitter)